Tetsu Umehara
Archiphonia[アーキフォニア]の象る空間と音楽
「新たな音楽と空間、或いは建築、都市の関係性を考えたい。」
私の修士制作はこのような漠然とした考えから始まりました。
「建築は凍れる音楽である。」と、ゲーテは言っていますが、現代の都市空間において、私は必ずしもそうではないと考えていました。西洋の様式美的な空間の時代は終わり、近現代の爆発的な都市の発展と、新しい空間の文法が開発される中で、都市は音楽を置き去りにしてしまった。というのが私がここ数年で感じていたことです。音楽は凍らない、建築と都市の変容体の中で漂うべきものであってほしいという切実な願いから、このプロジェクトに取り組むことになりました。
⒈空間が規定した音楽の形
①聖堂建築とグレゴリオ聖歌、そしてバッハまで(801-1800年)
五線譜の原型とされている”ネウマ譜”によって記述されたグレゴリオ聖歌。大空間での発声を前提とし、長い音価が特徴的であると同時に、明確な拍子が存在せず、口伝にて伝承されていました。また、単旋律で構成される楽曲のスタイルは後の音楽理論の基礎となる”教会旋法(チャーチモード)”の原型と言われています。
中世の聖堂建築はそのほとんどが組積造でできており、吸音素材が全くない環境下でこのような特性の音楽が作られていました。
大ヴォールトの聖堂建築 グレゴリオ聖歌
また1600-1800年はヨハン・セバスティアン・バッハの登場により、バロック音楽に大きな変化があった時代です。
バッハは西洋音楽理論を大成させた音楽の父として有名ですが、それ以前に彼は熱心なルター派の一族の元に生まれています。
というのも、当時の聖堂建築はカトリックとプロテスタントで内部空間の構成に差異がありました。
プロテスタント一派であるルーテル教会(後のルター派)は礼拝において聖書の御言葉を聴く説教が非常に重要視されていました。プロテスタント宗派の聖堂建築は音をより明瞭に(反響を少なく)聞かせるために、祭壇・説教壇・オルガン・洗礼盤の配置がカトリック宗派の構成とは異なる軸線上にあることがわかっています。それまでの教会建築の基準であった音響特性がこのような宗派の違いから分離していったこと、またバッハがルター派であったことを考えると、彼の楽曲(特にオルガン曲)の特徴である細やかな旋律の根拠が見えてきます。
②宮廷音楽の誕生と特権化
また、バロック期は絶対王政の時代とも重なり、教会音楽とは別に宮廷音楽(室内楽)が発達した時代でもありました。
1700年以降にはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトなどの”宮廷楽師”のような音楽家も多く、同時に音楽が特権化されて行きます。社会情勢と政治的背景から、建築と都市の空間形式が形作られる必然性とともに、音楽も階級により分化されるとともに様々な音楽ジャンルの派生に繋がりました。
絶対君主制の政治と宮殿 室内楽
③磁気テープの発明とインターナショナルスタイル
1900年以降は磁気テープに始まり、レコードなどの録音媒体が発明されました。1900年初頭はかのビクターレコードの絶頂期と言われ、多くのミュージシャンの音楽が録音されるとともに再生機器があれば世界中どこでも音楽が楽しめるようになった音楽史においても特に重要な時期でした。建築の世界においても、1920年代のバウハウスなどを端に発したインターナショナルスタイルがのちのモダニズムとして都市化の発展を支えたとともに、都市形態の画一化というポストモダニズムにとっての最大の課題を残した転換期でもありました。この世界水準が大きく変化した時期から音楽に”ジャンル”という概念が強く結びつき、場所の重要性を帯びることとなります。
磁気テープとレコード モダニズム建築
④インターネットによる技術革新と転用される音楽空間